日本史が嫌いな人でも理解できる講義<大和時代と古墳>

第3回 日本史が嫌いな人でも理解できる講義

前回までの講義内容・・・日本史が嫌いな人でも理解できる講義<弥生時代~大和時代>

1 倭の五王と中国(当時の宋)との関係

倭という国の王である武は「朝鮮半島での自分たちの立場を優位にするため」「国内での立場の強化をするため」に使いを朝鮮におくりました。

そして、「宋書倭国伝」という歴史書には、宋(そう)の皇帝から武が倭の国王に認められたことが書かれています。つまり倭の王として宋の皇帝から認められたんです。

倭王武の権力は

では実際、その当時、武がどのくらい権力があったのでしょうか。

やはり過去を調べるためには出土品です。

国内からとんでもないものが出てきます。

稲荷山古墳出土鉄剣銘(いなりやまこふんしゅつどてっけんめい)・・・埼玉県

江田船山古墳出土鉄刀銘(えたふなやまこふんしゅつどてっとうめい)・・・熊本県

☆どちらにも共にワカタケル大王と書いてある

 

埼玉と熊本まで支配地域を伸ばしていたことになりますね。

冷静に考えると、この当時スマホもないテレビも車もない時代にこの範囲まで勢力を広げるとは相当頭がよく強かったのでしょうね。

 

氏姓制度(しせい)

大王を中心にした大和政権が豪族たちを従えるために氏姓制度というものをつくりました。

・血縁関係を形成しているグループを・・・氏(うじ)

今でいうと親戚はみんな苗字みたいな感覚です。同じ苗字なら仲間意識が生まれやすいですからね。

 

・さらに政権内の地位として・・・姓(かばね)

今でいうと役職的なものです。○○長官、○○知事みたいなものです。

☆姓として有名なのが

(財政担当)蘇我氏の臣(おみ)

(軍事担当)物部氏の連(むらじ)

 地方の豪族には君(きみ)

ちなみにこの臣、連などの姓のトップは大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)なんて呼び名だった。

 

大和政権の基盤

当時の大和政権は私地私民制といって土地や人を自分の好きなように使うことが出来た

大王家の自分たちの私有地のことを直轄地(ちょっかつち)といいました。その直轄地は屯倉(みやけ)という名で各地にありました。そして、直轄民として名代(なしろ)子代(こしろ)があった。

また豪族の私有地は田荘(たどころ)とよばれ、私有民として部曲(かきべ)があった。

人権的にまずい奴隷制度が萬栄していた時代ですね。。。

 

いよいよ古墳が出てくる

古墳は権力の象徴としてでっかいものからちっちゃいものまで出てくるので次のものはおさえましょう。

 

<前期>

(3~4世紀) 前方後円墳が出現する。古墳の中には銅鏡、玉などの祭祀(さいし)用のものが多い。奈良県の箸墓(はしはか)古墳は有名。司祭者的性格。

 

<中期>

(5世紀)巨大な前方後円墳が現れる。鉄製武器や馬具などの軍事的なものが増える。大阪の大仙陵(だいせんりょう)古墳はあまりにも有名。軍事的性格

 

<後期>

(6~7世紀) 竪穴式石室から横穴式石室に代わる。群集墳、須恵器、有力農民などが埋葬されている。

☆後期になるにつれて有力者たちは古墳を作らなくなってきた。簡単に言ってしまうと別の物がこの当時はやりだします。何だと思いますか。

なんとお寺づくりブームが起きるのです。すると権力者たちは古墳づくりよりお寺づくりって感じになりました。

ただ、有力農民には「お寺つくりブーム」が来ていることを知りません。

そのため有力農民は古墳をつくり調子に乗っていました。

「これで俺も権力者だ・・・!」

ところが先にもお話したとおり権力者たちは古墳づくりに飽きて

「これからはお寺だ・・・!」

 

情報が少ないことはやはりつらいですね・・・。インターネットがあれば・・・。

 

<古墳時代のオキテ>

この時代はやはり謎の儀式がいろいろあります。

鹿の骨を焼いて占いをする・・・太占(ふとまに)

熱湯に手を入れて嘘をついているか判断する・・・盟神探湯(くかたち)

春に豊作を祈願する・・・祈年祭(としごいまつり)

秋に収穫を祈願する・・・新嘗祭り(にいなめまつり)

使う土器も弥生時代の系譜を引く・・・土師器(はじき)朝鮮から伝えられた硬質の須恵器(すえき)

インド生まれの仏教はこの時代百済の聖明王から欽明天皇に伝わりました。

ヤマト政権の流れ

朝鮮半島には高句麗(こうくり)新羅(しらぎ)伽耶(かや)百済(くだら)が存在してました。

実は大王家が何度も各地の首長によって滅ぼされそうになった事件がありました。

そんな中、大連(おおむらじ)であった大伴金村(おおとものかねむら)が継体(けいたい)天皇を手を組んで大伴全盛期時代がはじまるが、伽耶に対する賄賂がばれ失脚してしまう事件。

そのあとに527年筑紫国造磐井が新羅と手を組んで、ヤマト政権を滅ぼそうとした(磐井の乱)

なんと勝ったけど他のみんな力もつけてきている。そしてあの手この手を考えながら時代は進む・・。

ちなみにこの戦いは1年も戦って、、何とかヤマト政権側が勝利。。。

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